

暮らしレーベル、第5弾。
——高い金払って大学行かせてもフリーターか。くその役にも立たないな。
身体の障害だったら障害者って分かってもらいやすくていいよね、と言うのを黙って聞いていたことがある。そういう声を聞くたびに、人間の想像力が争いを解決してくれることなんてあるのだろうかと思った。現に、私はその声に憤る。私はあなたじゃない。(本文より)
ひとりなのに親子だという。足は多いが横にしか進めない。そんな奇妙な名を持つ書き手は、自分の体が過ごしてきた時間を気重たげに行き来する。文章を書くことはどうしたって誰かが生きた時間の肯定になることをこの本の文章は教えてくれる。湖底に潜むような、重くて鈍い、けれども確かな希望。ーー滝口悠生(小説家)
【著者略歴】
蟹の親子(かにのおやこ)
1991年生まれ。日本大学芸術学部卒。
事務員や書店員を経て、東京・下北沢にある「日記屋 月日」初代店長となる。現在もスタッフとして働き、日記や、思い出すことそのものについて日々考えている。
本書が商業出版デビュー作となり、自主制作本に『にき』『浜へ行く』がある。
《読者からの感想》
●止められず一気に読了。全くちんけではない、暮らしや家族や思いや自身の話がものすごい勢いで書かれていた。あーすごい、すごいしか言えない自分の語彙力。そして自分って経験も知識もなんだか色々浅いよなと改めて思ってしまう。「何にも当てはまらない私に水をやろう。」(226p)
●言語化しがたい複雑な気持ちも、じっと見つめて、じっくりと言葉にしているというような印象を受けた。なんというか、質量のある言葉、文章を書く人だと感じた。
●「記憶は海に似ている」という冒頭のように寄せては返す記憶と感情、思考、生活、生と死。読みながらその波に乗ったり、流されたり、飲まれて溺れそうになったり。書くことは自分を救い、こうして読んだ誰かの人生の一部も救うんだなと思った。
●ばらばらの時系列な事柄が、読み終わると一塊になる。家族のこと、ハムスターや犬のこと、仕事のこと、震災のことなど日常が書かれるが本音ベースの随想は日記を読んでいるような気になる。自分のまわりでの出来事とラップする内容もあり、読んで良かったと思える一冊。
●引き込まれる文章で一気読みした。『にき』『浜へ行く』よりも蟹の親子さんのことを知れたような気がする一冊。もっとひとりの身体でいよう、すてきな言葉。