

かなしくてさびしくて優しい人に。
詩のささやきが放つ色気にすっかりやられてしまった。不幸せな者、それでいてどうしようもなく優しい者だけが持つ、強烈な色気。ささやきでしか、本当のことは語れないのかもしれない。(向坂くじら・詩人)
『西瓜糖の日々』が文庫化されたのが2003年。大学1年生だった私はブローティガンに大いに影響を受け、物語るように歌詞を書くようになった。狂気を語る穏やかな声は、きっと今も遠くまで響くことだろう。(高城晶平・cero)
リチャード・ブローティガン(『アメリカの鱒釣り』『西瓜糖の日々』)、新訳詩集。
《読者からの感想》
●ブローディガンの詩集。 なげやりに、ぶっきらぼうに、諦めながらも愛を堪能している、洒脱な言葉たち。 この中では「ぼくらはキッチンにいる」「最後の驚き」が好き。 もし旧訳版と見比べたとしたら、どの詩もほんの数行で短いからこそ、翻訳者の詩人・中上哲夫さんの言語感覚と相俟って、新訳のこの一冊ならではの味わい深さがあるんだろうなぁ。 表紙がとても良いよね。
●以前から表紙が素敵だなと思っていた本。詩、というか短い言葉の連なり‥そのあいまから漂ってくるものが心に沁みた。俳句の影響があったと知って納得。「鴉に花を」が好きだった、きみにはきみの、ぼくにはぼくの。
●71の私的なライトヴァース。どれも簡潔でとぼけた語り口ですが、屈折したユーモアが潜んでいて、ひとすじなわではいかないようです。《きょうは出だしをまちがえた》《うれしいよ、彼女の恋の相手がぼくでなくて》など。新旧2つの「訳者あとがき」が理解の助けになりました。
●どんな作家なのかと一気に読み通してしまいました。「気づくことは何かを失うことだ」失ったのはそこにあった余白でしょうか。「恐怖からきみは一人ぼっちになるだろう」は短いけどすごく頷けました。「ここに素敵なものがある」は一番好きだったかも。何を示しているのだろうとつい考えこんでしまいます。リチャード・ブローティガンは寺山修司の葬儀に来ていたのですね。蟻の話も面白かったです。
●好きな詩→「ぼくは心をこめてこんにちはといった、だけど彼女はもっと心をこめてさようならといったのさ」「恐怖からきみは一人ぼっちになるだろう、きみはいろんなことをする、だけどどれもぜんぜんきみらしくない」「ここに素敵なものがある。きみがほしがるようなものはぼくにはほとんど残っていない。それはきみの掌のなかで初めて色づく。それはきみがふれることで初めて形となる」
●【詩集レビュー】リチャード・ブローティガン『ここに素敵なものがある』~Eテレ「理想的本箱」の内容を軸に。https://note.com/yokoyamayumi/n/n5e586d11ecbb