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政治活動入門(外山恒一・著)

2,090円

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政治性の発現、その顕在化の加減、そのありようは人それぞれだし、そうであるべきでもあると私は思っている。 だがしかし、政治性は誰にでもある。 このことは忘れられるべきではないし、忘れてはならないと私は思っている。 何故ならば、実際には誰にでも備わっているはずの政治性は、大きな力によって、あるいはその他の理由で、たやすく見失われ、忘れ(させ)られてしまうからだ。 外山恒一は、本書において、あの手この手で、政治性を賦活し、意識化させ、そして自分の内に芽生えた、いや、はじめから存在していた政治意識を、健やかかつしたたかに育てていくための知識や方法を教えてくれる。 本書の構えは極めて実践的だが、しかし同時に、知識や教養や理論の大切さもおろそかにしていない。 まさに「入門」の名に相応しい好著である。 私も一から学び直そうと思う。 佐々木敦(思考家) 【惹句】 そうだ、世の中のせいにしよう。 【目次】 1章 政治活動入門 2章 学生運動入門 3章 〝戦後史〟非入門 4章 学生運動史入門 5章 ファシズム入門 付記  政治活動とは何でしょうか。  多くの人は、政治活動と聞いてまず選挙などを思い浮かべるでしょうが、もちろん政治活動と選挙運動とはイコールではありません。  選挙に関係すること(有権者の一人として投票することや、特定の政党や候補者への支援活動をすること、あるいは自ら立候補することなど)も政治活動の一種ではありますが、実は政治活動の中でもかなり特殊なジャンル(?)にすぎません。  あるいは、政治活動とは、何かの主張や要求を掲げて署名を集めたり、集会を開いたり、街頭演説や、ビラまきや、デモなどをおこなうことだとイメージする人もいるでしょう。  しかしこの答えも、選挙運動しか思い浮かべられない人よりはいくらかマシですが、まだまだ正解とは云えません。  基本的なことから考えてみましょう。  ほとんどすべての人は、生きていく上で、何らかの不満や苛立ち、怒りや焦りや、周囲への違和感といった、いわば〝生きがたさ〟のようなものを抱えてしまうものです。  Aさんが〝生きがたい〟理由は、突き詰めていけば結局二つしかありません。  Aさん個人の資質や性格に問題があるか、社会や時代の状況に問題があるか、のいずれかです。  前者である場合には、これはもうAさん自身が個人的に努力して何とかするしかありません。  しかし、後者である場合には、Aさん一人の努力ではどうにもなりません。  もちろん、たいていの場合、Aさんが〝生きがたい〟のは、100%Aさん自身に問題があるとか、逆に100%時代や社会に問題があるということはありません。両者の混合の比率は人それぞれでしょうが、たいていは両方の要素を含んでいるものです。  たいていの人は、何らかの〝生きがたさ〟を抱えており、それを何とかしたいと日々試行錯誤をしているものです。しかし、繰り返しになりますが、その〝生きがたさ〟をもたらしている原因のうち、その人自身に問題がある部分については、個人的な努力で何とかなりますし、またそれ以外に何とかする方法はありませんが、そうでない部分、時代や社会の状況がおかしいために抱えてしまっている〝生きがたさ〟は、個人の努力では絶対に解決できないのです。  しかしすべての個人は、この同じ時代や社会の中に生きているわけですから、ある個人が抱えている〝生きがたさ〟のうち、時代や社会の状況に原因がある部分については、他の個人と問題意識を共有し、協力して解決の努力をすることが可能です。(後略) 【著者略歴】 外山恒一(とやま・こういち) 1970年生まれ。福岡を拠点とする革命家。80年代後半に「反管理教育」の活動家となるも、いわゆるポリコレの風潮に反発し、孤立無援の〝異端的極左活動家〟として90年代を過ごす。思想的にはマルクス主義、アナキズムを経て、03年に獄中でファシズム転向。07年の東京都知事選に出馬し、過激な政見放送で一躍注目を浴びる。近年は〝右でも左でもないただの過激派〟として独自の活動を続けるかたわら、後進の育成や革命運動史の研究にも力を入れている。著書に『良いテロリストのための教科書』『全共闘以後』など。 《読者からの感想》 ●正統派の歴史の教科書だと絶対書いてないような独特な歴史観なのにめちゃくちゃ説得力あって凄いな〜と思った。この人めちゃ頭いいんだな……すごいな……と思った。ただ、最後の締めが「逮捕? されてもいいじゃん(意訳)」なあたり奇人の部類ではあるなぁと思った。本としてはめちゃ面白かった。 ●ここ最近で一番面白い本。久々に読みながら胸が熱くなるような感覚になった。これだから読書はやめられない。ファシストと自称しているので危険な香りがぷんぷんしていたが言っていることは一見、突飛に見えるけど至極真っ当である。政治活動は結局は自らの生きづらさの内、自分の努力ではどうにもならない場合において周りの人と協力してそれを改善させることが目的だ。一方で政治活動は被害者意識か正義感からしか生まれない。最近の政治活動がつまんないのは変な正義感の政治活動しかないからだろうな。ほんとにこの本は読んで欲しい。 ●第1章と第2章が圧倒的に面白い。政治活動というのは生きづらさを他人と共有してその生きづらさの原因である社会的問題を取り除いていくことを目的とする行動のことを意味します。政治活動は被害者意識と正義感で構成されますが、誰しも何かしらの不当な目に遭っていることは確かなのでまずは自らの生きづらさの原因ついて考えていくことが必要となるわけです。その考えるプロセスにも学問としての理論が良いスパイスになりますし、さらに他人とその問題意識を共有するためには必要不可欠なものとなります。その理由を筆者は理論は万人に通用すると言います。学問は行動するために必要なのだというプラグマティックな議論が展開されています。しかし、間違いなくこの本には人の心を動かすパワーがあります。 ●めちゃくちゃ素晴らしい! 全ての啓蒙書を捨てろ!!街に出よ! ●2021年刊。著者はファシスト。「伝説の政見放送」で有名な外山恒一。ずっと気になっていて著作を読みたかったのだが、この度やっと読んだ。大変刺激的な本で、僕のような社会不適合者が生きていてもいいのだと思えたと同時に、自分はまだまだ「普通」だと思った。獄中に入るのも怖くないが、母ちゃんは泣くだろう、と思ったらやっぱり難しい。「日本はもはや先進国ではない」から最終的に「後進国」になってしまった。異論はない。 ●大変おもしろく読んだ。 1914年のいわゆる第一次大戦開戦から、1989年の冷戦終結までの75年間を、一連の「世界大戦」と捉え、前半を「熱戦」、後半を「冷戦」と呼ぶのだが、その境目はどこに置くのか。日本の常識では1945年の敗戦だが、実はこの後も熱戦は続いており、「日本は単にドイツ・チームからアメリカ・チームに移籍して、こっそり戦争を続けていた」という。50〜53年の朝鮮戦争は、いわゆる第二次大戦の連続であって、1956年のフルシチョフによるスターリン批判と平和共存が大きな区切りで、ここから冷戦だという。 1789年のフランス各区名から世界大戦勃発の1914年までを「長い19世紀」、1914年から1989年までの「世界大戦」期を、いかにも20世紀らしい時代という意味で「短い20世紀」と呼ぶ。そして、反テロ戦争の端緒となった湾岸危機の1990年から、反テロ戦争=世界内戦の時代、いかにも21世紀らしい時代が始まったという。 現代は、反テロ戦争の戦時下にあるという。細かく区分するなら「第4次世界大戦」、大きく分けるなら「世界大戦」後の「世界内戦」の戦時下である。 大風呂敷の20世紀世界史と、超ドメスティックな学生運動史、戦後日本史を行き来しながら展開する議論は小気味よい。 付記の実践マニュアルも意地悪でいい。 読めば読むほど、著者は真面目で誠実な良い人に見えてきてしまうのは、そのスタイルとして良いのかどうか。

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